そうだ!フィリピンに住もう

フィリピンの南部ダバオ市に移住した中年男えくえくのブログ

フィリピンに於ける約束とは何か?

皆さん、こんにちは。えくえくです(#^.^#)

今回は約束の概念について考えてみたいと思います。結論から言うと、フィリピンに約束という言葉はありますが、日本的な約束という概念とは全く別物です。尚、本文は「10人中、8人程度はそうだ」ということであり、あくまでも「そういう傾向がある」という話だとご理解ください。

 

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日本人の約束とは「決めたことを守る」ということのはずです。しかしその概念を持ったままフィリピン人と付き合うと、とんでもないことになります。日本人男性でよく「フィリピン人女性に騙された」という人がいますが、意図的な詐取を除いて、ほとんどのケースはそうとも言い切れません。一般のフィリピン人女性に人を騙すなんて感覚はないからです。但し日本人の「決めたことを守る」という概念は、フィリピン人にはそもそもなく、日本人男性がそう感じるのも無理はないことなのです。

 

例えば日本人Aとフィリピン人Bが話し合って決めたことがあったとします。日本人Aは「その決めたことは守らなければならない」と思ってますが、フィリピン人Bは「その取り決めをした時はそう思った」ということであり、その後その考えが変われば、その取り決めは消滅するわけです。日本人はこういうフィリピン人を「ウソつき」とか「信用できない」と言いますが、ホントにそうでしょうか?はなはだ疑問です。そもそも「約束は守らなければならない」とは誰が決めたのでしょうか?

 

世界宗教用語辞典には、約束とは旧約聖書新約聖書の「約」は約束(契約)である。神は人に対し、共同の責任をもって約束する。アブラハムが故郷を出たとき、イスラエル民族が出エジプトしたとき、キリストの最後の説教で聖霊を下すとき、みな約束であり、その実行が必ず伴っていたのである。と書いてあります。

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フィリピン人の多くはカトリック教徒で、生まれて間もなく洗礼を受けます。これは公式の洗脳と言っていいと思います。この洗礼により、その赤ん坊は親の子ではなく、神の子になるのです。つまりフィリピン人にとっての約束とは、神との約束という契約であり、敬虔なカトリック教徒ほど人間同士の約束という概念はそもそもないのだと思われます。

 

例えばキリスト教徒のAさんがBさんにプレゼントをもらったとしたます。AさんはBさんに「ありがとう」と声を発しますが、Aさんが感謝するのはBさんではなく神です。つまりBさんがAさんにプレゼントしたのは神の意思と考えるのです。このBさんが日本人だった場合、それを快く思いません。「だって俺が汗水流して働いた給料で買ってあげたのに、なんで俺に感謝しないの?神って誰だよ?」と思うのは、日本人的には当然のことと思います。

 

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では日本人の約束という概念はどこから生まれたのでしょうか?仏教からでしょうか?私は個人的に武士道から派生したものだと思ってますがどうでしょうか?とにかくどの国にも歴史があり、我々人間はそれを受け継いでますよね。

 

それともう一つ、平均寿命の差があると思います。日本人は84歳、フィリピン人は69歳、この15年は大きな差です。フィリピン人が長生きできないのはいくつかの社会的要因がありますが、私が思う一番の理由は「長生きしようとする努力をしない」ということです。

 

例えば高血圧でも普通にしょっぱい物を食べるし、糖尿病でも三食とも糖質を摂取してます。それはなぜか考えてみました。それはただ単に「食べたいから」だと思います。ジャーナリストはそれを貧困や教育のせいにしますが、私は全く違うと思ってます。それは中流以上の家庭に育ち、一定の教育を受けても、結局やりたいことはやる、やりたくないことはやらない民族だからです。

 

つまりフィリピン人は我慢をしない民族なのです。例えば200m先でも歩かず、トライシクルに乗ってしまう国民性ですから運動不足は否めません。「歩いたら疲れるから歩きたくない」という、ただ単にそれだけのことですが結果、平均寿命は短くなります。

 

要は「約束をしたけど気が変わった、約束通りに行動するのは我慢できない」という風に「我慢できない」ということも、約束を守らない要因の一つと考えます。しかし我慢をするというのは、それほど素晴らしいことなのでしょうか?私は57歳ですが、この歳になるとはなはだ疑問です。気が変わることは人間誰にでもあることだし、我慢なんて商業上の取引でもない限りは、正直今さらめんどくさいです。

 

私はフィリピンに移住してから、ずいぶん酷い目に遭いました。「約束という言葉はこの国にはない」とハッキリ認識したのは、移住してから半年後でした。しかし不退転の決意でフィリピンに移住したのに文句ばかりは言ってられません。それじゃ残りの人生つまらないですからね。なわけで私なりに工夫しました。まずは「フィリピンに約束という概念はない」と自分に言い聞かせました。

 

するとどうでしょう、不思議なほどストレスがなくなり、人間関係も良くなりました。そして私も平気で約束を破るようになりましたが、フィリピン人は私に約束を反故されても怒らないのです。その寛容さにも愕然としました。つまりフィリピン人は、自分も約束を破るから、相手に約束を破られても何とも思わない民族なのです。非常にフェアな民族だと思います。

 

例えば私が「Aさんの家に1週間後に遊びに行く」と約束したとします。私はその時は行きたいと思ったけど、当日は行きたくなければ行かないというフィリピンスタイルを実践したのです。そしてキャンセルの連絡はもちろんしません。試験的にこういうことをし続けたのですが、誰にも怒られませんでした。むしろ人間関係は良くなりました。

 

なんでやねん???

 

という思いでしたが、「約束という概念がない国はこれほど楽に生きられるのか」と痛感し、逆にこの国の人々が好きになりました。

 

そして「実は自分はそれほど酷い目に遭ってなかったのではないか?」と感じるようになりました。良い悪いは別にして、フィリピン人には「楽に生きる」とはどういうことなのかを教えてもらった気がします。まあそれもこれも、私が仕事してないからなんですけどね。仕事してたらどう感じたでしょうか?たぶん違う感情を持ってたでしょうね。

 

但しこのことでうちは新たな問題が発生しました。妻です。私の妻は「日本的な約束」という概念を強く持っている、かなり珍しいタイプのフィリピン人です。この件で妻とはじっくり話したのですが、「フィリピン人は約束を守らないから嫌だ」と、結婚して9年目に初めて聞きました。たしかに妻はフィリピン人の親しい友人が一人もおらず、義姉もフィリピンを捨て外国に嫁ぎました。

 

例えばこんなことがありました。あるホームセンターへ行った時、店員にカーテンレールを数本出してもらいました。しかし私たち夫婦は他店も見たくなったので、「あとで戻るからそのままにしておいてね」と言って店を出ました。で、他店へ行ってみると、それより安い同じ商品があったので、それを買いました。すると妻は「さっきの店に戻ろう」と言うのです。私は「アホか!!ここはフィリピンだぞ。約束なんかない国なんだから戻る必要なんてない!!」と言うと妻は「そうかもしれないけど、それは私のスタイルじゃないから嫌だ」と言うのです。

 

こんな感じで私と妻は、約束絡みのトラブルがちょいちょいあります。妻は生粋のフィリピン人ですが、日本人的なとこがあり、私より良い人間だとは思います。但しそれじゃこの国でストレスなく生きていくことができません。私は妻に約束という言葉は捨てて欲しいのです。

 

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要は期待するから裏切られたと感じるのです。初めから期待しなければ、裏切られたという感覚はなくなります。妻の反対を押し切ってフィリピンに移住した私は、妻にもこの地で幸せになってもらいたいのです。そのためにはどうしても約束という言葉は忘れてほしいのです。

 

こんなこともありました。しょっちゃうスッポかす電気工事のおじさんが「明日うちに来る」と言った時があるのですが、私はその日急に出掛けたい所ができたので、妻に「来るかどうかわからないから出掛けよう」と言ったのです。ところが妻は例によって「来ると言ったんだから待ってなきゃダメ!!」とのこと。

 

これじゃこの国でストレスなく生きていけません。私は無理やり妻を連れ出したのですが、そのおじさんはやはり来なかったのです。この時から妻も少し変わり、だんだんフィリピン人とのコミニケーションがわかってきたような気がします。そのおじさん、もし来てたとしても怒らなかったはずですから。その寛容さはある意味信頼にあたると思います。

 

私は日本人ですから、日本的な約束の概念は素晴らしく、他国に誇れるものと思ってます。但しその価値観を外国人に押し付けるのはいかがなものかと思います。今までも我が国は韓国や中国との外交に失敗してます。それもこれも約束の概念は世界共通と思い込んでるからだと思います。日本人の約束という概念は日本特有のものであり、韓国や中国もフィリピンと同様、約束なんてありませんよね。約束を守ってほしいと思うならば、この国で仕事をするべきではなく、フィリピン人とは関わらない方が無難でしょう。そして私とも関わらない方が無難でしょう。企業の転勤でフィリピンに来られる方はしょうがないですが、ご自身の意思でこの国に来て、約束が守られないからと不平不満を言うのはおかしな話です。誰も「この国に来てくれ」なんて言ってないですからね。

 

結局日本人が約束に求めるもの、それは「将来の保証」だと思います。日本には一定の保証がありますよね。年金、保険、生活保護などいろいろな社会保障があり、銀行がつぶれても1000万円までは政府が保証してくれる素晴らしい国です。

 

でもフィリピンにはそもそも保証なんてないのです。社会保障も含めて、ほとんど何もありません。交通事故で亡くなっても、その補償額は最高でも50万円という国です。こういう国で生まれ育ったならば、将来のことなんて考えないのは当たり前です。その日楽しければ、その日飯を食えれば、それでいいのです、先のことはわかりませんから。私は日本人がフィリピン人に約束をしたからと言って、将来の保証を押し付けるのはナンセンスだと思ってます。

 

私はこの地ダバオに永住します。そして既に自分の墓もうちの近所に買いました。相手が日本人の場合は約束は守るつもりですが、このままこの地に住み続けてれば、将来的には自信がありません。いずれ相手が日本人でも約束は破ってしまうかもしれません。人間は環境の産物ですからね。将来もしかしたら日本人の友人は1人もいなくなるかもしれませんが、それで良しと思ってます。決して自分が正しいとは思いませんが、老後は楽に生きていきたい・・・自分自身の人生ですから。ではでは!!

 

今週のお題「わたしの好きな色」